本日も、このブログを訪れていただき
誠にありがとうございます。
こちら福井は、秋晴れの良い日が続いている今日この頃です。
さて、先週に引き続き 今日も福井での眼鏡工業の歴史を
少し振り返って見ることといたしましょう。
好むと好まざるにかかわらず、第一次世界大戦が転機となり、
福井の眼鏡界は大きく動くこととなりました。
そして、1916~1917年頃には、
(福井で眼鏡工業が始まったのは1905年ですので、約11年~12年後頃のことです)
五左ェ門の増永工場を核に、独立開業者も相次ぎ
工場数は、12件 となっておりました。
「これからは眼鏡の時代だ。必ず伸びる。枠は、作っているが、
中に入れるレンズは、まだ福井には無い。作ってみないか。」
五左ェ門の弟、幸八は、清水与右ェ門に、もちかけます。
当時は、まだ電気が無い時代です。
彼は、文殊山のふもとの水車小屋を所有していたので、それを利用して
レンズ磨きを始めたのでした。

(今の眼鏡工場内では、ほとんどの機械が電気で動いています。
電気の無い時代に、物作りをはじめた先人達の知恵と頑張りに感心せずにはいられません)
現代の眼鏡には、普通に、メッキがつけられていますが、
福井の眼鏡が誕生した 明治末期から大正、昭和初期(1905~1930頃)にかけては
金属素材の真鍮、洋銀、赤銅などが主流でした。
しかし、1923年頃になると、アメリカから 金張り枠が大量に輸入されるようになり
うって変わった戦後不況と、この輸入枠に福井眼鏡界は、泣かされることになります。
そして、この苦境を乗り切るため考えた結果、
眼鏡にメッキをする ことを思いつきます。
そのころ、福井市でたった一件、金属メッキ業を営んでいたのが、木村菊次郎でした。
その頃 彼は、自転車部品のメッキ加工を手掛けておりましたが、
眼鏡へのメッキ、その挑戦は勝手の違う
大変困難な加工だったようです。
更に、「アメリカからの金張り枠と見間違うほどの金メッキ」という
目標が決められていたのです。
先人達の高い目標と、強い追究心に、本当に圧倒されます。
さて、この先 福井の眼鏡工業は、どのように進んでいくのでしょうか。
今日は、この辺にさせていただくことといたします。
福井で眼鏡工業が始まってから110年の月日が経つ今。
その流れを受け継ぎ、私達が作っている眼鏡 歩AYUMI を、ご紹介いたします。
先日のIOFTにて発表いたしました モデルの内
本日は、L-1023 です。
歩AYUMI L シリーズ は、
Light ( 軽い )シリーズ でございます。
セルロイド生地 と 金属はチタン を用いて 軽く作り上げております。
セルロイド生地が持つ硬さを利用しての極薄タイプ
更に、チタンという軽い金属を採用して生まれる このシリーズは、
掛けやすいと、たくさんの方にご愛顧いただいております。
今回の新しい形も、更にすっきりとした良い眼鏡に仕上がっております。
歩L-1023 Col.0674(アユミパープル) * 歩だけの特注オリジナルのカラーでございます。 30,500円(税別)

Col.0907(黒) 漆黒は、歩の定番です。

Col.1265(赤) 日本人に似合う 赤色 といってもよいでしょう。

Col.5265(バラフ) 大海原をおよぐタイマイの鼈甲色を模しています。

Col.5122(アユミブルー) * こちらも、歩だけの特注オリジナルのカラーでございます。

私達も、高い目標と追究心をもつことが、大切と考えております。
先人達に学ぶべきことは、本当にたくさんあります。
どうぞ、また来週も 是非お付き合いいただけましたら幸いです。
- 2015/10/26(月) 05:00:00|
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